「社内でネガティブなことを言っている奴はつまみ出せ、というのがおすすめです」(藤田氏)

facebookで流れてきて気になったので記事化。単なる批判に留めるほど私もヘタってはいないので本件から何かを学ぼうという趣旨でいきます。

15Apr29_1024

なんじゃこの発言

元ネタはこちら「サイバー藤田社長、後継者選びは「今は無理」–IVSで気鋭起業家5人と語る」。気になった部分を引用します。

事業に失敗し、23歳で1億円の借金を負ったという小島氏。同氏の著書を読んだという藤田氏が当時の様子を聞くと、「経験がないのに1億円を調達して、組織も崩壊した。人望はゼロ、働く意味が分からないという元社員のチャットの履歴が出てきた」と同氏は振り返る。

こういった社内批判について、藤田氏はネガティブな芽をすぐに潰すべき、と語る。「社内でネガティブなことを言っている奴はつまみ出せ、というのがおすすめです」(藤田氏)

怖いっす。

もちろん記事なので現場の雰囲気や前後の流れを無視した切り取り方とかになっているかもしれません。だから彼らの真意ではないのかもしれないけれど、少なくともこの部分に私は非常に違和感を覚えました。

言ってるのはたぶんこれのこと

以下に引用する藤田氏のブログ記事「退職金とミスマッチ制度|渋谷ではたらく社長のアメブロ」がこの発言を裏付けます。

ミスマッチ制度とは、

  • 下位5%をD評価とする。
  • D評価1回でイエローカード、2回目でレッドカードとなり、2回目で部署異動または退職勧奨のいずれかを選択してもらいます。
  • 仕事のパフォーマンスだけでなく、価値観、文化の合わない人が対象となります。

また会社の価値観と合わない人に対し、どうして21世紀を代表する会社を創らなければならないのか、から経営陣が説明しなおすつもりはありません。

こういう社内制度が既にあるので、「つまみ出せ」という表現は決して方便ではないように伺えます。本論ではないけれど果たしてこれ、合法なの?

ちげーだろ

上記発言、私は全面的に支持しない。

ネガティブなこと言ってるやつつまみ出してたら、あるいはそういう風潮があるならば、社内には信者、社畜、亡者しか残らなくなりますよ。それでいいならいいけど。不平不満は改善の芽。ポジティブ妄信は病気のもと。

「働く意味が分からないという元社員」を潰してつまみ出すなんてこと機会損失やで?「働く意味」って「生きる意味」と同じくらい難しいテーマなのに、それを「分からない」と認識して人に告げるまで誠実な人に対して追放という懲罰を与えるなんて常軌を逸した一手。

そういうメンバーがいた時には真摯に真剣にまっすぐに対応するのが経営者の大事な仕事なんじゃないの?経営者である自分はこういう意味をもって働いている、というコミュニケーションは最低限しなければならないし、メンバー自身がその意味について考えるのを助けることまでしないまでも、「働くことの意味付け」はどんな規模のどんな形態の会社でも組織の長たる経営者の重大な仕事なんじゃないの?

それをあろうことかつまみ出すとか、経営陣が説明しなおすつもりはないとか、まともな人から見たら大変恥ずかしいことばかり述べていますよ。

きな臭い

ネットにはCA信者とかCA批判者とか色々いるようです。「起業家」レビューを見ればだいたい状況分かりますね。

本件から学ぶこと

なぜわざわざこんな記事を書いているかというと、私が以前から「なぜ働くのか」「なぜ生きるのか」「会社とは何か」「経営者とは何か」「組織とは何か」みたいなことを一人で勝手に考えてきたという経緯があり、まだ出ていないけれどもその答えの方向性と全く違うことがある程度でかい会社の代表によってぶっきらぼうに述べられちゃってることに少々憤り、それどころか結構好きなとある友人がこの文脈についてfacebookで若干好意的ともとれるコメントを残したことに「バカヤロー」と思ったことが原因です。

「働く意味が分からない」って一見、ニートだのゆとりだのの甘えであろうという論調に結びつきやすいけど逆に、これに真っ向から回答できる人ってどれだけいるの?「生きるためには当たり前じゃないか!」っていうのはおっさんの答え。じゃああんた何のために生きてるの?「働く意味が分からない」という疑問を軽視することは生きることを軽視することだよ。

以上すべて前置き。

結論

  • 働く意味は簡単じゃない
  • ポジティブは正解じゃない
  • 知ったふりは無知より危険
  • 知らないことを知らないのはもっと危険
  • 謙虚=知、傲慢=無知

マネジャーはメンバーに対してプロジェクトの意義について説明する責任がある。どんな規模でも。メンバーはマネジャーに対してその意義への疑問を問う義務がある。どんな時でも。

僕はプロジェクトの意義に共感できず、後者の義務をきちんと果たす前に逃げました。今は無職です。

プロジェクトの意義って何だ?それはもはや哲学なんじゃないか。答えが無いにも関わらず考え続けるのが哲学だとするならば、プロジェクトの意義についてもずっと考え続けなければならないのではないかな。

ここまで来てようやく、ぼくの本筋である「組織社会の次に来るもの」テーマに繋がる。つまり組織社会、会社といったものが「自身の存続」を目的とすることの弊害があまりに大きすぎるものだということへの課題意識。フリーエージェント社会の到来でもなく、人々が複数のプロジェクトに多様に関わる社会。プロジェクト社会とでも言おうか。

定義されたプロジェクトの意義が達成されればそのプロジェクトおよびメンバーは解散される。派生する課題が見つかればまた別プロジェクトとして立ち上がる。それは前プロジェクトとはメンバーも形態もやり方も違う。

短期的に組織ではあるものの、固定ではない、流動的な組織。それらが網の目のように立体的に関係し合って社会全体を構成し、個々の課題解決が総和の満足度を押し上げる。

タバコを吸いたくなったので思考はここまで。

©2017 まちいく

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