閲覧注意すぎるオレオレ哲学をあえて公開

眠れない夜にふとPCを起動して書く記事ほど危険なものはない。

あとで読み返すときの恥辱感といったらないからだ。

でも今回の思考は、ずーっと考えてきたことでそろそろまとめておきたいものだからやむを得ず、また本日のストレスを解消する意味でも書きなぐってみる。

17Jun38_1024

この写真はメキシコのなんたら遺跡。懐かしい。

0VS10→5

何も無いのが0。全て有るのが10。ほとんどの人は、何も無いより全て有るほうがいいと思うだろうから、10が良いと言うだろう。

でも中には天邪鬼な人がいて、いやいや無いほうがいいこともあるんだよ、などのたまって、7あたりを推してくる場合がある。

そんな方々のせめぎあいを経て、得てして結論は5になる。中庸だ。

5ならば0にも10にも同じだけ近くてバランスがとれていて良いということだ。

これは線形だ。

0=10

定規を思い出す。左が0で右が最大値だ。右に行けば増える。

その定規がペラペラな紙だとしたらぜひ、マグカップの円周へ、底辺と並行に巻きつけて欲しい。どうなるだろう?長さがぴったりならば、0と10が一緒になるだろう。

うん。

色即是空、空即是色とはこのことなんだね。

無も有も結局は一緒なんだ、その価値観が常々移り変わっているのが現実の世界なんだ。

すると?

5

さきほど良いと言われていた5の存在を見つめなおす。

無かったり有ったりする現実の世界観から最も遠いのが、5なんだ。世に中庸と呼ばれ、普通とされ、一般と称される価値観が、最も現実からかけ離れた幻想になってしまっているんだ。

8よりも2よりも、5は現実から遠い。

でもね

話はここで終わらない。

でもね、5も0も10も、同じ円周なんだから、結局はぜんぶ一緒なんよ。円の中心からの距離は全部一緒なんよ。じゃー大事なのはなんだ、っていったところの、円の中心というやつは、一体なんなのよ。世界の真理がそこに詰まっているのかい?

円周をぐるぐると、同じ所をひたすら巡るよりは、なんだか円の中心のほうが偉そうに見える。

ところがどっこい。

大事なのは

円の中心に至る道なんだ。

それはきっと直線じゃない。最も外側の外周をぐるっとしたあとに一段内側の外周へ入り、少し周って次に深い外周へ入り、また外側へ戻ってしまうこともある。ぐちゃぐちゃさ。

円の中心が重要なんじゃない、外周を巡り続けることを避けなければならないことが重要なんだ。

掘れてるか?

と、常に自分へ問いかけ続けなければならない。

それは周ってるだけじゃないのか?

と。

円の中心は答えじゃない

たぶんそこには何もない。空洞だよ、ブラックホールだよ。

人間ってなー、欲深くて罪深い、エゴだらけのクリーチャーなわけで、何もないのが怖いんだよ。

だったら。

ということで、唯一、人間がすがることのできるものがあるとすれば、それは、円の中心に至る道そのものなんだよ。当然、万人には万人分の道がある。

道だけは否定できない。

否定した時点で、それも含めた道になるんだから。

だったら、いいじゃない、それで。

以上

5を崇める空気感が最近、自分を含めて多いな〜、と感じたのでそろそろ書いてみました。読んじゃった人、おつかれさまですやん。

©2017 まちいく

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